Toshiko Kamada
種のこと〜野菜と現実と
4ヶ月前から、畑仕事をしている。
家の庭に、じわりじわりと種を蒔き続けている。
自然に模した形で作物を育て、庭を作ろうと、いずれこうなるだろう庭の想像図からスタートした。
想像図はこうだ。多種多様な植物、木々や花々、野菜や果樹、香草、薬草、水草など、あらゆる植物が混在していて、互いに影響し合いながら、季節ごとに表情を変える。虫や鳥が飛び交い、地中にはモグラやミミズもいっぱいいる。食事のたび、お茶のたびに、庭からとってきた香り高い野菜や草花が食卓を飾る。
という図を思い描きながら、しばらく放ったらかしで固くなった地面を観察するところからスタートした。
雑草と呼ばれる草たちは、種まきしなくても立派に育つように見えるのだけど、それがよく観察していると、それぞれの暮らしぶりがあって、棲み分けもあるらしい。そして、雑草を掘り起こすたびに驚くのが、その豊かな根っこが、地面を耕し、土をふかふかにしてくれていることだ。こんなにフカフカには、鍬を使っては耕せない。根っこごと掘り上げてその土を触ってみると、気持ちがいいほど柔らかい。そんなわけで、できるだけ雑草に土地を耕してもらいながら、その間に作物の種を蒔いている。
種を取り巻く世界の現状を紹介した映画を見て以来、私は自分をこの星の「種の守り人」となろうと決めている。そんなわけで、日本の伝統野菜のタネを中心に、いい種を入手しては、少しづつ蒔いては成長を見守り、少しづつながら収穫しては、なんて美味しいんだ!と毎回驚きながら、実りをいただいている。
そんな中、日々、驚嘆しているのは、種というものの力だ。
紙袋に入って私の手元にやってきた種たちは、見たところ、よく似た形状のものが多くて、例えば根菜類、大根、人参、かぶなどの種はよく似た本当に小さな粒だし、ハーブ類や葉物野菜の数々もよく似た種だ。豆類はもちろんどれも豆の形だし。
それをここがいいと思う土に蒔いて、薄く土をかけて踏んでなじませるだけ。水も肥料もやらないので、あとは、種が自力で芽を出し、根を伸ばすのにまかせるのだが、早いものは数日で芽を出す。根も出てるんだろうけど、見えないからちょっと残念。
そして、もうこの芽が出た時点で、私たちの目には、それぞれの種が独自の形を表して行くのが見える。伸びて、葉をつけ、実をつけるごとに、その独自の形がはっきりしてくる。大根の種は大根に。人参の種は人参に。白菜の種は白菜に、なっていく。
当たり前だと言われそうだけど、日々見ていると、それはもう奇跡のようだ。この小さな点のような種の中に、こんなものが生まれ出る力が備わっているなんて!そして、しばらくの実りをくれたあと、その作物はまた種をたくさん作って、次の世代を生み出していく。
種のこの確かな創造力。世界にこんなに力強いものが他にあるだろうか!
畑で、いや世界中で、毎瞬間起こり続けてるこの創造。これを感じるたびに、私は、私たちの人生で毎瞬間起こり続けている創造のことを思う。
「信念は、いつか現実として花開く種です。」(ハリー・パルマー)
私たちの人生で、種にあたるのは、私たちの持ついろいろな信念、思いのようだ。1つの信念は、1つの種のように、確実に現実を作っていく。信念のままに。すぐに花開くものも、少し時間がかかって花開くものも、蒔いたことを忘れていたものもあるかもしれない。
そんな風に思うと、どんな種を蒔くのかは、とても大事だと感じる。そして蒔いているのが自分なのだとしたら、なんの種を蒔くかは、100%自分で選べるということなのだから、自分の現実も自分で選べるのだ。
人生の種も大事に選んで、大事に育てて行きたい。人生の種の育て方を学べるのがアバターコースだ。
