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  • 執筆者の写真Toshiko Kamada

欲しいものに手を伸ばさない



家族でどこかへお出かけすることになっていた日曜日の朝、多分3歳ぐらいの頃。

母から、父の都合で「今日のお出かけはなくなった」と告げられた。

玄関で靴を履いて、準備万端だった私は悲嘆にくれて、泣いて訴えたが、たしなめられて、どうにもならなかった。


「世の中には、望んでも手に入らないものがある、どうしようもないことがあるのだ」とあきらめた最初の記憶だ。

55年近く経って、急に浮上してきたその時の思いは、それまでの人生の中では、当たり前のこととして、まるで人生の背景のように、ずっとそこに存在してきたものだ。


欲しいものにまっすぐ手を伸ばしても手に入らない。手に入らないばかりか、怒られたり、悲しい思いをする。

それなら、そこでどうする?

この時以降、私が選んだのは、「むやみに欲しがらない」という戦略だ。ところが、この戦略もすぐに人生の背景のようになった。いつの間にか「私は欲しいものがあまりない子だ」ということになってしまって、「我慢するのが得意な手のかからない子」ということになってしまった。自分でも、そのうち、私は生まれつきそういう性格だと思うようになって、その証拠ばかりが見つかるようになった。


のちに、自分の望むことを創り出そうとしてみても、一体私は本当に欲しいものがあるのだろうかと疑ってしまう。そして望むものが見つかっても、なかなかまっすぐ手を伸ばせないということが続く。そのしくみを解き明かそうとしても、なかなか上手に自分を騙しているので、結構てこずる事になる。


それでも、自分の制限となってきたこの「欲しいものにまっすぐ手を伸ばさない」感じは、明らかにこの3歳の日曜日の朝に、採用された態度だなあと、最近思い至って、心のしくみの不思議に自分でも驚いている。


あの朝、私にはどうすることもできないと思ったあの時、泣き寝入りをする以外の選択肢が、私にもあったのかもしれないと想像してみる。そうすると、また別の人生を過ごしたかもしれないではないか。


例えば、絶対に泣き止まず、訴え続けていたらどうなったか?

例えば、父親に直談判をしていたらどうなったか?

例えば、両親が連れてってくれないなら、自分一人で行く!と言って、家を出てずんずん歩いて行ったらどうなったか?

例えば、別棟にいた祖父母の協力を得るように動いていたらどうなったか?


そう思い描いてみるのも、今ならちょっと面白い。その瞬間に別の人生へのたくさんの分かれ道があったのではないか。


私を縛り続けた制限を実は自分が選んだ瞬間というのを、こんな風に特定できるのなら、実は、その瞬間は別のいろいろな可能性の種が同時にあった瞬間でもあるじゃないか!


そう思うと、今この瞬間も同じではないか。


今この瞬間に、何を選ぶか、どういう態度を選ぶか。

毎瞬間、そんな無数の可能性への分岐点を、私たちは生きているのではないだろうか。


「この選択は、私をどこへ連れて行くのか?」と問える瞬間を。


ならば、次の瞬間を自分で決める力をつけることは、変化と豊かな経験に満ちた人生をもたらしてくれるだろう。


三つ子の魂百まで、を変える力を自分の中に見つけ、取り戻すのがアバターにできることのひとつだ。


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