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  • 執筆者の写真Toshiko Kamada

最初の疑問から始める



子供の頃は、異界が近かった。

自分と世界の境が曖昧だったと言ってもいいかもしれない。

外で夢中で遊んでいて、すっかり別世界に行っていたような時も、たくさんあったように思う。


他の人もそんな記憶があるのだろうか?

”神隠しとか、7歳までは神の内、あるいは夢の中とか、東西問わず、そんな言葉がある。

そんなことは大人になってから入ってきた言葉だが、私の記憶の中には、今の私より、もっとずっと殻の薄い、何にでもなれる、どこにでも入っていけるような自分が存在している。


そんな中、9歳の時、父が病死したことで「死んだらどうなるの?」という質問が自分の中ではっきり立ち上ってきた。

骨になった父の魂は、いま旅の準備をしてこれからあの世に行くのだ、そしていつも私たちのことを見ていてくれるのだという周りの大人の説明は、きっと本当は大人たちにもわからないんだな、と思わせた。死ぬってどういうこと?


それから自分なりに考え、思い描き、感じて見ることが始まった。

生きてるってどういうこと?

私って誰?

どこから来て、どこへ行くの?

ここへくる前は何していたの?

死んだらどうなるの?

ここで何をしているの?


この疑問は答えのないまま、浮上してまた忘れられ、の繰り返しで大人になっていった。

異界が近かった子供の頃の私は、この問いを問う必要もなく、答えも必要なかったのかもしれない。

あるいは、答えを知っていたのかもしれない。


とにかくこの最初の疑問に答えないまま、人生は、かりそめの問いと答えを繰り返して進行して行った。


再びこの疑問から目をそらすわけにいかなくなったのは、自分の子供が生まれ、その子達が、とても薄い殻の中に収まるかどうかという状態にいる、まだほんの幼い頃だった。子供達は、まだ自分の体の枠の中より広く、あるいは私とも繋がって存在しているようだった。

彼らは、小さい体ながら、そこにとても大きく存在していた。

まるで、彼らの方が、自分が何者でなぜここにいるのかを知っているかのようだった。

私はといえば、慣れない子育てに朝から晩まで????な状態。


若い頃、自分に母性はあるのかしら?と疑っていた私だが、いざ子供が生まれると、子供達は、自分の想像をはるかに超えて可愛かった。

この世にこんなに愛する気持ちがあるということ、それが自分に起こったということに、私は心底驚いた。

しかし、溢れ出る愛おしさに比べて、私は自分という存在がなんだかとても心もとなかった。

そして、再びあの最初の疑問が、今度はこの子たちのために答えを知りたいという切実さで迫って来た。


私とは誰か?を知りたい。

そうだ、まずそこから始めなくては、と。


アバターコースは、そのための9日間としてつくられている。


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