Toshiko Kamada
幸せな子育てになった理由

のんびりとした私の自己探究の道が、急に切羽つまったのは、最初の子供が生まれてしばらくした頃。
赤ん坊のいる暮らしに少し慣れてようやく頭も回りだす。
幼い息子もこの世界に分別を見つけ始めているように見えた。
新米お母さんは、はりきって、これは何々、あれは何々よと教え始める。この辺りは、まだそれほど葛藤はない。お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、物の名前や人の名前は共有しているから、誰が教えても犬はワンワンだ。
ところが息子が自らの意志で動き始めた頃から、状況は一変する。それをつかんでも良いか、それを口に入れても良いかは、大人によって、意見が全く違うのだ。
「ああ~ダメダメ、それはダメ」
「いいから、いいから、大丈夫だから」
そんなやりとりが、息子がゴゾゴゾするたびに繰り返される。
これは予想外の葛藤だった。
息子本人は、実際どうでもよさそうだったが、大人各自にとっては、心の平安が脅かされる一大事だった。
そんなことを繰り返すうちに、私は本当に考え込んでしまった。
一体全体、何が良くて、何が悪いのか、どうやって決まっているというのだろう?
私たち夫婦、夫の両親であるおじいちゃん、おばあちゃん、私の母やひいおばあちゃんたち、親戚のおじちゃん、おばちゃんたち。初孫の息子に愛情を注いでくれるみんな、良かれと思っていろんなことを教えてくれるのだ。
食べ物、着るもの、挨拶、態度、衛生感、玩具や絵本の種類、テレビはどうする、お出かけはどうする、、、
思いはわかるが、合点のいく理屈もあれば、そうじゃないものもある。子育ての常識も年代ごとに違う。家ごとに違う。
私自身がこうするのが息子に良い、と思うやり方に確信があって、誰がなんと言おうとそれを通してもいいのだが、問題は、その確信がなかった。私が良いと思う方法も、自分の好みの子育て法の本の著者が言っていることだったり、なんとなくなじみがあるというぐらいだった。息子がどれを喜んでいるのかも、確信がなかった。たいていは、どのやり方でも息子はご機嫌だったし。
子供が世界を発見していく横で、私が何かを指し示す時に、一体何を基準にすればいいのか、正直になるとわからなかった。
私自身の持つ「正しい・間違っている」という感覚を、その時まで、私は本当には吟味したことがなかった。
自分のことを、ぼんやりとした過去と外部の印象を取り込んだだけの、ひどく不確かな存在に感じた。私が知っていると思っていたことは、一体なんなのだ?私は一体誰なのだ?子供の時から、何度も波のように襲ってきたこの問いが、再びやってきたが、今までのように、しばらく考えて答えのないまま、また日常に戻るわけにはいかなかった。
目の前の子どもの存在は、圧倒的にリアルでくっきりとしていた。この不確かな姿の母では、この子を育てられない。その思いが、自分を知るという取り組みに私をまっすぐに向かわせた。
意識のしくみを学びトレーニングするという、この時にどんぴしゃりな学びが、知人からもたらされるという不思議な縁を得て、どこかでずっと長く待ち望んでいた、自分自身を知るという経験を、子育ての真っ只中ですることになった。
それは、自分という存在にとって恩恵だったが、そのタイミングでもたらされたのは、私がこの人生で、子育てというものを今回はすっかり経験して学ぶと、どこかで決めて生まれてきたような気がしてしょうがない。
その学びを経て、私の存在もリアルでくっきりとしたものとなった。「正しい・間違っている」というのは、自分が創っているもので、自由に変えられるのだとわかり、先の葛藤はきれいに消え去った。自分の「正しい・間違っている」は、時々変えたって良いのだ。
おかげで、私の子育ては、そこから本当にたのしいものになった。私は、子供たちのためにする選択、あるいは子供たちと一緒にする選択に、迷いがなくなり、選んだものを謳歌できるようになった。そしてまた、柔軟に態度を変えることが面白いことだと感じるようになった。子供たちも自分の選択を楽しめるようになったのは、本当に嬉しいことだった。
自分に取り組み、探求するということが、そのすぐ近くの人との関係を、必ず変えることになるだろうと思う。何か外側を変えることに熱心に取り組む前に、まず自分自身に取り組み、自分を発見する十分な時間と機会が、もっと世の中に、組織の中に、教育の中に、家庭の中にあったらどうだろう。私たちが悪戦苦闘している問題は、結局は自分自身に取り組むことが解決の糸口になると、私は感じている。その時間と機会をこの世界に増やすことが、幸せな子育ての期間を経験できたこの世界への恩返しのように感じている。