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  • 執筆者の写真Toshiko Kamada

何を考えるかではなく、どう考えるかなんです。



私という存在はどこから来て、どこへ行くんだろう、という質問を、自分にして見たことが、皆、何かの機会にあるのではないでしょうか。


同じように、


私の考えは、どこから来て、この先どうなっていくんだろうと、考えることも、みんなあるんでしょうか?


私は、割と真剣に考えます。


自分が当たり前に思っていることが、1つの「考え」であって、それを自分がどこから取り入れたかがわかる瞬間というのは、とても面白いと思います。

当たり前のことが、当たり前でなくなる開放感。

「考え」はそれであってもいいし、それでなくてもいいのだと。


そして、そうならば、その次の瞬間に、どう考えるかを誰が決めるのか?


人の考えを取り入れてもいいし、自分で考えてもいい。なんて、自由なんだ!


でも、そのこと自体をうっかり忘れるので、また「考え」の海の中にズボッと入って、それが当たり前と思うようになる。


この、「考え」の中に入ったり、出たりすることを、たまたまそうなるんでなくて、自分でできるようになることは、

自分の自由をより謳歌できるということだと思う。





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