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  • 執筆者の写真Toshiko Kamada

「はてしない物語」〜生の息吹を蘇らせる



ミヒャエル・エンデに再び心を奪われている。

老眼が進む日々、ありがたいオーディオブックで、先日は「モモ」、今日はまた「はてしない物語」を聴き終えた。


手に汗握り、息を凝らして読み進んで、エンディングに涙した後、この世界に私を戻してくれる役割の「訳者あとがき」の中で、訳者の上田さんがエンデに会われた時の様子を紹介されている。


上田さんによると、はてしない物語は、エンデ自身が、主人公と一緒に物語の中へ入って冒険を続けることで書き進めた本で、決して何かを最初から伝えようとして書かれたわけではないとのこと。無心の、そして命がけの遊びなのだと。そして、それがエンデ自身、現代に最も欠けているものとして取り戻したかったものだという。


そして、私はエンデの意図した通り、すっかりその中に入り込んで、夢中でそれを味わった。主人公の冒険はまさに私の人生だった。同時に、きっとこの物語を読むみんながそんな風に思えるのだろうと思った。尋ねてみたことはないけど、きっとそんな魔力がこの本にはある。何が起こっていても、この自分の人生を、かけがえのないものなのだと、読者が思えるそんな力が、この本にはある。


自分で人生の物語を創り変えれる力があることを、そして本当に心から望んでいることが何なのかを求め続けることがもたらす喜びを、身内深く感じることのできる、私にはそんな経験となった。


それは「生の息吹」という感じ。


ここまで書いて納得がいった。この文章で何を伝えたかったのかが自分でわかった。私がアバターを分かち合いたいという気持ちを四半世紀も持ち続けているのは、この「生の息吹」のためだ。


アバターは素晴らしいツールで、どんな時にも機能するが、そしてどうなるかというと、この「生の息吹」が増えるのだ。

内側から物事を変えられるという希望、人生を生きていくことの喜び、道の途中で起こることへの大いなる信頼。

エンデがこの世界に増やしたかったものと同じだと、私は信じている。

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