Toshiko Kamada
考えの海で溺れないために
本屋さんで山積みされたとっても小さくて綺麗な本に「これは水です」というタイトルを見つけて、思わず足を止めました。
これは水です
禅問答が始まるような言葉ではないか!
実際、水の中の魚への禅問答のような逸話からその本は始まります。
え!これは〜なのか?
と、初めて何かに気づく瞬間。
自分がすっかり一つになっていたものから、自分が離れて、ちょうど「これは水なんだ!」と気づくような瞬間。
頭がクリアになり、一瞬頭が良くなったような気がしますよね。俄然、物事の見通しが良くなる瞬間。
新しいものの見方をもたらすそういう瞬間を、私たちがもっとできるように「ものの考え方を学ぶ」ことをこのスピーチは勧めているように私には感じられました。これは、アメリカで話題になった卒業式スピーチの邦訳本です。
世界は、無数の興味深いことに満ちています。一つの考え方、一つの感じ方に魅了されて夢中になることもできます。
たった一枚の花びらだって、見つめてみればなんて不思議な創造物でしょう。マイクロスコープになってその細部にもっと入り込みたくなってしまいます。それを満喫する分には最高です。でも入り込みすぎて、何に入っているのわからなくなる時があります。考えることにおいても、考えているつもりが、考えになってしまってそこから出られないとき、迷子になる時があります。
”「ものの考え方を学ぶ」とは、本当は何をどう考えるかをコントロールする術を学ぶということなのです。
それは意識して 心を研ぎ澄まし、何に目を向けるかを選び、経験からどういう意味を汲み取るかを選ぶ、という意味なのです。”(「これは水です」より)
本当にそれができたら、そこにあるものを見て、考える、ということがもっと自分の存在にとって、意味あるものになるように思います。自分という、他にはいないユニークな一人の存在が、「見て、考える」ということの価値が生まれるように思います。それが自分の人生を意図的に生きるということなのだと思うんです。
それは人が普遍的に求めてきたことなのではないでしょうか。
この話が全米NO.1の卒業式スピーチとして話題になっていることを思えば、人々は、この指針を生かす方法も探しているのだと思います。実際にそれをどうやってやったらいいのか?と。
「ものの考え方を学ぶ」ための方法を学ぼうと。
さてそこで、実際にその方法が学べるためには、「考える」という行為の外側に行くことが必要だと思いませんか?考え方を考えていたらどこへ行くのでしょう?考えの海の中で、考え方を学ぶことは可能でしょうか?私はよく考えの海で溺れていましたが、アバターを学んでから、海からあがる方法と好きな場所へダイビングして楽しむ方法を身につけ、考えに入ったり出たりすることをだいぶ覚えました。まあ、溺れてみるのも構わないのですが。
私が学んだのは、まさに”何をどう考えるかをコントロールする術を学ぶ”ということです。
ですから「これは水です」は、自分にそれを思い出させるなかなかいい言葉だと思いますね。
探究者ハリー・パルマー氏が、感覚喪失タンクに数週間入って研究し、タンクに入らないでもできる「考える」ことの外へ行く方法(アバターコース )を考え出した経緯は以下の本に書かれているので、興味がある方は読んで見てください。
『リビング・デリバレイトリー(自分が決める人生の行き方)ハリー・パルマー
https://www.dawnavatar.com/product-page/リビング-デリバレリトリー
「これは水です」 This is water デイビッド・ファスター・ウォレス 田畑書店
興味のある方は、ぜひ両方読んで見てください。