Toshiko Kamada
あるアバター体験記No.2 アバター経験
コース用に、臨時に用意された一軒家で、韓国から来た数名と日本人数名の、不思議な合宿生活が始まった。
そのころのアバターコース第1部は、「クリエイティヴィズム」と呼ばれる一冊の本を使って、一日だけ、読み物と練習をいくつかやって、まずはコースの概要をつかむもの、のはずだった。ところがその中の一つの練習が、あまりに衝撃的だった。”和解のために歩く”という練習だ。近所の石段を練習をしながら登って降りてくる20分ほどの間に、お姑さんへの私の気持ちがすっかり変化していた。なんだこれは?!
次の日にはもう第2部の練習が始まった。
”感じること” を練習するのだが、雨の中、散歩をしながら、私は、”生きている感じ” を取り戻していた。
三日目の夕方頃、私の意識は知らぬ間にひろがり始めていたようで、身体がその変化に戸惑っているような感覚。次第に私は頭の理解を超えて、自分の存在そのものに変化が起こり始めていることを感じていた。
日を重ねるに従って、その変化は加速していった。
変化の一つずつを言葉で表現することはできないような、多重に螺旋状に広がりながら変化し続けるような感覚。
そして、”私” が現れてきた。
コースの終わりが近づくにつれ、私の意識も身体も、全部、私の創造なのだという確かさが増していく。
最終日の朝を迎えた。私は焦っていた。そこまでの大きな変化にも関わらず、最後の最後まで、私の頭が「私が経験したいのは、これではない、これではなくて。。」と何かをまだ探し求めていた。だが、"しつこい塊処理” と呼ばれる練習を終えた辺りで、ついにその声も止んだ。
そして最後のプロセスを終えた時、私は、アバターとなった。
私が得たかった経験だった。
アバターとして今ここに存在していることを、私は言葉なしに、他のアバターマスターたちと共有していた。それはなんの説明もいらず、お互いにわかるのだった。新しい世界の感じ方だった。
「杖をついて、探しまわる旅は終わった。」
この一言を体験談として書きとめ、私は、そのまま外に出た。
公園でブランコをこいだ。雨上がりの青空に向かって、大きくこいだ。
経験したことのない自由を謳歌しながら、あらゆる可能性に開いていた。(続く)