Toshiko Kamada
「足らない」以前
「足らない」という感覚をいつから持つようになったっけ?
と振り返ってみました。
学校に行くまでの記憶の中には、思い出せませんでしたが、いつの頃からか、あるべき点数が足らないとか、あるべき成果が足らないとか、そう感じた記憶が年と共に増えていきました。
それと並行して、「私に何かが足らない」という感覚も増えていったように思います。
その足らない何かを満たすために、行動することが増えていきました。
でも「足らない」の前はどうだったでしょう?
「足らない」のない世界。
記憶の中の子供時代は、「足らない」のない世界だった時期があるようです。
持ち物や持ち金は明らかに少なかったでしょう。
でも足らなくなかった。
豊かだったのでしょうか?そうですね。きっと豊かだったと言えそうです。
全てがある世界に住んでいたような気がします。
だって「足らない」と思ってなかったから。
庭先でも、路地でも、河原でも、空でも、
興味が向くままに観察し、手を伸ばし、実験し、空想し、
物語を創り、完了する。
そして、また新しい別の物語を創る。そんな日々でした。
少し前、そんなことを考えた後、私は「足らない」気持ちを、そっと眺めてから、横に置いてみました。
すると、「足らない」は別に私の邪魔をするでもなく、そこにおとなしくしていました。
そこで、私は、子供の頃のように、興味が向くままに、出かけて観察し、触って味わい、妄想を広げ、通りかがりの人に話しかけ、私の新しい物語を語りました。
その人は「とっても面白いね」と言ってくれたので、私は気を良くして、また別の物語も考えました。
そうしている間に、「何かが足らない私」がだんだんと薄くなって、
私が世界にいっぱいに満ちていくような、
世界が私のような感じがしてきました。
全てがある世界の住人になったような気持ちです。
「足らない」
「ある」と「ない」を分けているものはなんでしょう?
ちょっと面白くないですか?